Sunday, February 13, 2011

なんだか当たり前だけど、ユーザが多いということ。

事業を考える上で、
「マーケティング(注:ここでは、広告や、口コミ、その方法は問わず、とにかく利用ユーザを増やす事)」
はすごく重要だと思う。

これは当たり前の事ながら、自分の中でうまく説明できない事だった。

というのは、
「ビジネスとしてただユーザ数を増やさなければマネタイズできないということを言っているのではない」
からである。

「1人あたりの単価が100円だったとして、それが10000人集まれば1,000,000円ダヨネ、だったら運用できるよね」ということではない。

極端な話、

「1,000,000人のユーザがいたときには一人当たり1,000円のビジネスが、
1人のユーザしかいない場合、一人当たり0円の付加価値しかなくなるという事が、実はほとんどだ」
という事だ。

特にBtoCのサービスを考えるに当たってそのことが顕著に現れる。
ただし、ネットワーク外部性が働く、SNSのようなものだけ「ではない」という事も注意しておきたい。

これを例えるなら、
「サッカーは本当に11人対11人の合計22人いれば楽しめるモノか?」
ということに近いと思う。

「世界にサッカーというスポーツ人口が本当に22人しかいなかったとして、
その22人は本当に楽しいのか?」

と言う事である。



結論、その人たちはサッカーをやめると思う。



なぜなら、サッカーが楽しいのは、22人集まって「そのスポーツが "できるから" 」ではないと思うからだ。


本質的にそのスポーツが面白いと思うかは、そのゲームが持っているゲーム性のポテンシャル以上に、「多くの人がやっているのか」「おもしろいと思われているか」という事実に基づくと思うからである。


これは、テレビゲームでも一緒だろう。
僕が子供のころに夢中になった「ストリートファイター2」というカプコンの名作ゲームがある。これが面白い理由が、本質的にその「ゲーム性」に有るとすれば、まさにいま「ストリートファイター2」をやっても面白いだろう(ただし、自分は年はとっていない7歳のままだとする)。


さあ、面白いだろうか?


人間が本当に面白いと思う事は、「社会的に面白いと思われていること」だと思う。
社会心理学的には「社会的承認」という。社会的にそれが認められているとき、はじめてそうだと思う。

「いや、自分はそうじゃない」という人もいると思う。
僕もそうだ。例えば誰がなんと言おうと自分が面白いと思う映画は絶対に面白いし、それは他の人の影響を受けない。

でもそういう人は、その分野の「イノベーター」「アーリーアダプター」になれるだけの素養を持っているだけであって、「マジョリティ」ではない。

人間の判断というのは非常に他者依存だし、だからこそ人間は調和を保って集団で生きていけるのだと思う。個々の要素の意見が同化しない組織体があったとしてもそれは成り立たないだけの話。


だから、思うのは、
「集客をする」
というのは「十分にビジネスモデルの範疇だ」ということだ。
それはユーザにとっての価値と等価である。

「他の人も使っているという安心感がある状態にしてあげること」
は既存のユーザに対する非常にベーシックな最低限のサービスである。


あらためて、そういう目線でビジネスを考えねばと思う。

1 comment:

  1. おもしろいと感じるものは、共感から生まれるものだと思う。

    映画をみて、おもしろいと思うのは、自分が良いと感じているものを描き出してくれているから。
    スポーツもゲームそう。
    ゲームは、ある意味、仮想の中のものと戦ったりする。
    つまり、バーチャル(機械)と共感する。

    でも、いちばんおもしろいのは、知人と共感できること。
    ストリートファイターが流行ったのは、友人と競い合える=共感しあえるから。
    スポーツも同じ。映画も誰かに語るときは夢中になる。

    つまり、友人が使っていることへの安心感→興味→共感にできればよいのだろう。
    だから、SNSが利用される。
    で、たぶんその次は、もっとリアルに共感ができるものができるだろう。
    それを考えるのが、ビジネス。

    ちなみに、集客って、単に人を集めることではないよね。
    ココに来て一層、勘違いしている人が多いと思う。。

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