Friday, January 21, 2011

Quoraとは何を象徴しているのか

Quoraに実は入ることができた。

以前に自由登録ができた時代(いまは招待制にもどっている。)どうやら登録をしていたようだw。

改めてQuoraをみていると、やはりこれまで等は異なる雰囲気、空気のようなものを感じる。
それを簡単に書いて見る。

一つ目は、
フォローするということの多様化。

フォローするというのは日本ではTwitterが広めたことになっており、「マイミクが申請しなくても気軽にできる」ということになっている。
つまり、「人と人とのつながり」を半分意味している。

しかし、Quoraでは「記事にフォローする」ということができる。つまりは無機的なコンテンツにフォローするできるということである。
これは大きな意味を投げかけている。
フォローとはそもそも「着いて行く」という英語の意味を持っているが、つながるという意味はそもそもの言葉にはない。
そもそもFacebookにはニュースフィードというものがあって、それは人の(Facebook上での
)行動を友だち(Facebook上でのつながっている人)に「勝手に通知する」というものである。
またフォロー(Follow)には相手(の足跡、軌跡)のあとを追うという意味がある。
Quoraで行われているフォローという意味を総じて考えてみると、質問に体する回答に着いて行くということが行われているのである。
質問に体する常に新しい情報に着いて行くということだ。そこには人間のつながりというものは厳密には関係していない。
これはフォローという言葉がこれまでよりも多くの意味をもてるようになったということだろう。


2つ目は、サイト上での自分をブランディングがさらに強まっているだということ。

Quoraの質の高い回答は、もちろん善意でいい記事を書いてくれる人が多いということもあるのだろうが、回答を書く人にとっては社会全体への絶好の自己紹介の場である。
「自分はこれだけの見聞があり、ちゃんとその式を世界に還元している」ということが世に知られることによって、自分のブランディングが上昇するという成果を持っているだろう。

アメリカだけでなく、日本でも自己ブランドの構築に対する根強いニーズはある。しかしそれをやる方法がほとんどないという状況が作られました。ここへ来て、身元がわれているということが非常に重要になって来た。


Quoraが象徴するのはその様な時代背景だったりするのではないだろうか?

No comments:

Post a Comment